日本との時差13時間。地球の裏側にある南北に長い国チリ。人なつっこい人たちがそれぞれのペースで暮らしています
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ガンガーの日の出
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沐浴する人々
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上からの町並み
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お祭りを眺める。
前の文章に載せるはずだったのにうまくいかなかった・・・・写真をくれたMさんありがとう!
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11月4日 バラナシの良さ

バラナシに来て10日が過ぎる頃から、この街の良さやインドのひとの良さが分かってきた。ヨガの場所までガンガー沿いを30分歩かなくてはならないのだが、1時間前に出てゆっくり散歩がてら歩くのが日課。朝8時にはメインガートはすでにたくさんの人が沐浴をしていてにぎやかだ。朝から日差しは強くて頭に何か巻かないと焼けてしまいそうな暑さ。でも風はさわやかで日陰はなんとも言いようのない気持ちよさ。最初のうちは「JAPAN?」「どこから来た?」などとうるさかった客引きも、数日たつと「こいつは何の誘いにも乗らない、金にならないやつだ」ということを悟ったのか、すれ違っても「ナマステ」の挨拶だけでOK。警戒することなく自分のペースで歩ける。メインガードを過ぎると、今度は焼き場。24時間火が消えることなく遺体が焼かれている場所で、最初は本当にびくびくして通ったものだが最近はすっと通ることができるようになった。遺体の焼却は極めてシンプルで、キャンプファイアーのように組まれた木の上に布で包まれたご遺体が乗せられ火をつける。あとは見守るだけで、焼けたらガンジスに流すようだ。考えてみると、焼却施設で味気なく焼かれる日本や、焼かずにそのままお棺に入れられるチリより、バラナシのやり方の方がずっと人間味があってロマンティック。
焼き場を過ぎると景色はガンガー沿いで暮らす人たちの日常生活に変わる。お坊さんたちの場所があって、その先には髪の毛や髭を剃る人たちが並んでいる。その中の一人に髪の毛を剃ってもらったので、彼に挨拶するのも私の日課。彼はいつもニカッと笑って挨拶を返してくれる。その先は洗濯をする人たち。小さい子供も手伝って、川で洗ったものは、階段一面に干される。干された布は皆色鮮やかでひとつひとつ見るのも面白い。
最後に、一本だけ生えている大きな木の下で一休み。木陰を渡る風は本当に気持ち良い。
明日の朝にはこの街を去る。数日前は早く出たかったのに今やとっても名残惜しい・・・。写真はゲストハウスのレストランに勤めるMさんにもらったもの。彼女にバラナシで会えたのもとても良かったことのひとつだ。
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大学に行く
10月30日 大学に行く
2日間の下痢が回復してきたのでヨガを再開した。ヨガの先生はホテルから川沿いに30分ほど歩いたところに住んでいるのだが毎日通うとなると結構な時間だ。川沿いはずっとガート(祈ったり沐浴をする場所)になっているのだが、コンクリートや石作りで緑がほとんどない。路地を歩いてもほこりっぽく、牛の糞やゴミが落ちていて快適な散歩道とは言えない。人々の生活の様子を見るのは楽しいけど、1週間以上続けると飽きてくる。
今日は猛烈に緑が見たくなって、バラナシ在住の日本人女性に聞いたら「大学は?」というのでバラナシ大学まで少し遠出をしてみた。マルセロは珍しく風邪をひいてダウンしたので、部屋で一人で静養した方が良いとも思ったし。
キャンパスは最上流のガードから30分くらい歩いたところにあるようなので、リキシャの人にいくら?と聞いてみた。そしたら80ルピーというので、それは高いだろうと思い無視したら、25ルピーまで下がったので乗ってみた。すると、リキシャマンはなんと人に道を尋ね出した!おいおい、道知らないのに、値段交渉してたのかよ!!
結局、大学はその場所からたった500メートルくらいのところにあったので25ルピーは高いなあと思いお金を払うと、5ルピー玉を指差し、「それを10ルピーと変えろ!」と言ってくる。頭に来たのでとぼけて5ルピー玉をポケットにしまうと、あわてて、「OK、OK」だって!彼らはとりあえず、会計の時になると強気になってみるようだ。確かに5ルピーなんて日本円にしたら10円程度・・・でも、外国人だからってボロうとするその根性が気に入らないのだ。
大学の門に着くと立派な並木で、チリのバルディビアの大学を思い出した。久し振りに見る緑ではあったけど、大学内もたくさんのバイクやリキシャが走り、ちっとも静かじゃない・・・・女学生に「静かで緑の多い場所に行きたいんだけど」と言ったら「奥にあるビシュヌ寺に行ったら?」というので向かった。校内は意外と女子学生も多くて、男子学生と仲良くおしゃべりをしていたりしたり(一般慣習的には婚前の男女が会話をするのはダメ)ジーパンを着こなしていたり、携帯メールをしていたり、そこがインドとは思えないような風景。やはり大学ともなると、グローバルリズムの波に呑まれてインドの古くからの習慣は影を弱くしている。
校内に病院があったりお寺があったりするので様々な人たちがいたが、乞食の人は少ないし、緑は多いし、おしっこ臭くないし歩いていて大分快適だった。
お寺は緑に囲まれていて静かで久しぶりに芝生の上でゆっくりすることができた。
ガンジス川のガート沿いはいつもたくさんの人で緑がない。インド人は決して聖なるガンガーでは小便をしないけど、ガートの壁にはそこがトイレかのように小便をするので(男性のみ)大抵臭い。マルセロは商売人の多さや、声をかけてきてもお金がないと言ったらすぐに「こいつは用無しだ」みたいに去ってしまうことにがっかりしていたけど、私はそんなことより緑のなさと小便臭さが、どうあがいても生理的に嫌いなのだ、ということが、少し離れて違う場所に行ってみてよくわかった。
もちろん聖なるガンガー。朝日は神々しいし敬虔なヒンズー教徒も多いのだろうけど、実際問題、どんなに聖なる河だと言われようとも水は茶色く濁って油が浮いている。だって近隣住民は石鹸を大量に使って洗濯するし体洗うし・・・。バラナシの空気の汚さも特筆すべきで常にボートやオートバイやオートリキシャが黒い煙を出しながら走るし、電気が良く止まるので自家発電の機械(動力は多分ガソリン)は動きっぱなし。たくさんの人が緑のない場所で暮らし、牛は路地を歩き、犬は猿と喧嘩をし、今は乾季で雨が降らないから全ての人や動物の動きが埃となって空気に混じり私たちの体に入るのだ。3000年の歴史のある聖都バラナシだけど、時代の変化は確実に押し寄せているのだなあと思った。
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料理を習う
10月25日 インド料理を習う
川沿いには多国語を話すコミュッションボーイ(いわば客引き)がたくさんいて私を見ると「こんにちは。日本人ですか?」と声をかけてくる。ぶっちゃけうざい!でもマルセロはにこにこ会話をするので、私も付き合わざるを得ないのだった。そしてそのうちに彼らが、地球の歩き方に書いてあるほど悪質なわけでもなく、素朴な疑問に答えてくれたり、お店を教えてくれたり、接し方によって有意義な存在であることが解ってきたのだった。クリシュナは25歳でコミュッションボーイの一人。一見あやしく、まあ、実際も100%信頼が置けるとは言えないけど、差しあたって悪い奴でもなさそうだった。彼にクッキング教室を教えてもらって、行ってみた。
教室といっても一般の家で、一般の主婦がやってくれる感じ。初めて入るインドの普通の家は思ったより清潔でホッとしたのだった。面白いのは台所で、ガスは床に置いてある。習慣として座って料理をするらしく、少し台座のついたまな板が二つ準備してあった。マダムは笑顔が素敵でたどたどしい英語(私と同レベル?)で色々と説明してくれた。その日のメニューは野菜マサラとチャパティとチャイ。野菜を切ったり炒めたりするのは一緒だけど日本の料理と大きく違うのはその香辛料!多分どこの家にも香辛料セットなるものがあるのだろう。蓋付きのステンレスの器に入ったそれはクミンシード、ターメリック、タイム、etc全部で7つ。これがレギュラー香辛料なのか?と思いきやその他にも出てきて、結局ひとつの料理で10以上の香辛料を使った。もちろんにんにくや生姜、玉ねぎやトウガラシを入れるとその数はさらに増え、まさに味のハーモニー・・・これもまたインドの奥深さ。チャパティは最後に直火で焼くということも習った。
その清潔なキッチンではあるが、料理中壁や床をよぎる生命体があり、何かと思えばネズミだった。小さくてかわいいねずみが、ちょろちょろ、豆を盗み食いしてた。「おいおいっ」という思いと、日本も昔はそうだったんだろうなあ、という思いと複雑。チリ人のマルセロは全く気にしていない風だ(奴の家にもねずみはいるし)。彼と旅をしていると日本人である自分の清潔概念が度を過ぎているのを感じる。インドの汚さは中進国チリとは比べモノにならないが、ほこりっぽさや、排気ガスの空気の臭さ、道にすてられる大量のごみやおしっこ臭さは共通するものがあるので、私が道を歩いていてしんどくなる気分を100としたら、彼は20くらいでしかないのは、ある意味とてもうらやましい。
美味しいご飯を頂いて満足したら、マダムが「インドのオイルマッサージどう?」とか、「また明日も来るよね?」とか色々誘ってくる。インド人の商売っ気はコミュニケーション手段の一つなのか、または習慣なのかなかなか解せないものがある。そこを上手に交わすことが出来れば信頼心を持って仲良くなれるんだろうけど、それには時間がかかりそうだ。
食後にクリシュナが、「香辛料の店を紹介するよ」(また商売!)と言ったのでついて行った。入り組んだ路地を入り、ドアを開けると天井の高いビルの一階で牛が飼われていた。神聖な彼らがまるで牢屋のようなところに閉じ込められていたが、これが現実。そもそも大都市のど真ん中で牛を飼うのは無理がある。その牛の奥に小さな扉があって、そこが香辛料とナチュラルオイルのお店だった。まるで実験室のようにたくさんの瓶が並んでいて30歳位の頬骨が出すぎて目のくぼんだ主人(いかにも薬やってるような)が居た。マルセロと一緒じゃなかったら怖くてすぐに出て行きたいくらいだったが、彼は「この場所気に入った!」と言い、チャイをも貰ったので私もそれに従うと、店の主人はたくさんのマサラの解説やオイルを試させてくれた。
そのマサラとオイルの多様さに脱帽。またしても「Deep India」を感じずにはいられない。その全てがそれぞれ違うにおいと味、効能を持っているのだ。ナチュラルオイルは全て買いたいくらいだったが、小さな小瓶で1200円と高く、旅の予算からしてもほいほい買えるようなものではなかった。ぼったくりの疑いもあったので、別のオイルのお店にいってみたら、そこは安かったけど、匂いは全然違って、あやしい主人の店は質が高いということが分かったのだった。
コミッションボーイのおかげで、またもDeepIndiaを感じた午後となった。

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Deep india
10月24日 Deep india
ガンジス川の流れるヒンズー教最大の巡礼地、バラナシはインドでの最大目的地で、私はずっと行ってみたかった場所だ。
初めてみるガンジス川は、穏やかな静かな流れで、やっぱり茶色かった・・・。川沿いにはたくさんのガートがあって、それぞれ意味合いが違うのだそうだ。いくつかのガートは火葬場になっていて遺体を焼いてそのまま川に流す。(21世紀になった今でも昔からの風習を変わらず持ち続けているインド。一体なんなんだこの国は!!)
ガード沿いの道は全てが古くて細く迷路のようでイタリアの路地みたいだけど、全く違うのは牛がゆっくり歩き糞を落としていくことだった。人間は牛様が通り終わるのを待っていなくてはならず、糞を踏まないように気をつけて歩かなくてはならないのだった。またこの街には牛だけではなくたくさんの動物の気配であふれていた。中でもヤギや猿の多さは特筆すべきで、その他には犬、猫、ねずみ、リス、トカゲ、カラス、コウモリetc人口過密地域にさらに動物たちもたくさん住んでいて、本当に「混沌としている」としかいいようがない。それぞれが、それぞれの命を生きているのだ。
その日はお祭りで、ガンガー沿いには「たくさん」という表現ではすまないくらいの人たちが祈りをささげにきており、通り道がないほどの人でうまっていた。女性たちのサリーは色鮮やかで、この世に存在する全ての色があるんじゃないかってくらいカラフルで、そして女の子たちはとても美しいのだった。
このお祭りの主役はその女性たちで男性たちは観光客のように少し離れて(といっても離れるような場所なんてないけど)座って友達同士おしゃべりをしていた。インドでは男女の区別がとてもはっきりしていて、今だに結婚相手は親が決めるらしいし、若い男性と女性が話をすることは禁じられていて、話しをしようものなら近所中の噂になるらしい。
地球の歩き方によると、バラナシの人口は120万だけど、市が出している観光マップには310万となっている。路上生活者の多いインドでは正しい統計なんてとれっこないだろうけど、とにかく人が多い。美しさもカラフルさも貧しさも香辛料の多さも人々の欲望や宗教への真剣さや、汚さや神聖さも半端ない。マルセロはその半端なさが好きなんだ、と言っていた。そして商売心や嘘と信仰が同居しているところが好きなんだそうだ。やっぱり彼の感性はその昔好きだった人に似ているのだった。
確かにインドにはこの地球に存在する全てのものが、あると思う。

さて、髪の毛を切った。いや正確には剃った。ガンガー沿いにはたくさんの祈りを捧げる人たちやお祈りをしてくれる人たちや髪の毛を整えるおじさんたちがいるのだが、その中の一人にやってもらった。おじさんは10回以上「キリヤル、キリヤル??」と言っていて
多分、「本当に剃っちゃっていいんだね?」という確認なんだろうけど、最初に髪の毛をじょきじょき切っていくまでは良かったけど、剃刀をあてられたら、「やっぱり短くしてもらうだけにしたら良かった・・・」という若干の後悔の念がよぎった。それから、頭の手術のために髪をそらなくてはならなかったお母さんを思い出した。
じょりじょりって音がしてなんだか涙が出た。たかが髪の毛・されど髪の毛。
ものの15分くらいで全てが終わり、おじさんが鏡を差し出してくれた。生まれた時以来のスキンヘッドの自分はチベットのお坊さんみたいだった。髪の毛はガンガーの流れに飲み込まれて行ってしまった。
さて、こんなことをして自分が清められるのか。そんなことしたって自分は自分でしかないことは知っている。でもインドの貧しい人たちをみていて、70歳近くになってもリキシャをこがなくてはならないおじいさんに接して、それから自分の恵まれた環境、それでもつきない欲望を思い知りなんだか愕然としたのだった。旅をしていて自分は妥協なく欲の強い人間なんじゃないかということに思い至った。それはお金を儲けたいとかではなくて、「やりたいこと、全てやりたい」的な欲望だ。(今まで気づかなかったのか??)
さて、剃った理由を説明するのは難しいけど、剃った結果、別になにも変わらないのだった。それから頭皮に直接感じる太陽は暑くて、水は冷たく風は心地よいのだった。
あとは、髪の毛、伸びるまで就職できないけどよろしく&すみません ってところかな?

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またカメラをとられる
10月21日 またしてもカメラを盗られる・・・・
コルカタからバラナシへの電車の中で、迂闊にもカメラを取られてしまった・・・・ボリビアに引き続き2回目。。。今回は、電車の中で首からカメラをさげて音楽を聞いていたら、少しの停車時間の間に、電車の窓(鉄格子が張ってあるその隙間から)からにゅっと、手が出てカメラの紐を切られ、持っていかれてしまったのだった。あまりに一瞬の出来事で何が起こったかわからないくらいだった・・・・・。そのカメラは7月に新調したばっかりの高性能カメラなのに!!! そういうわけで、このブログは写真がない・・・・超残念。マルセロが写真のデータをくれたらいいんだけど、彼は自分の撮る写真にこだわりがあるので、なかなかくれないのです。ケチ。
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お祭りに参加する
10月19日 お祭りに参加する
運よくディワーリーというインドの3大祭りの一つに日程が重なった。これは光のお祭りで、街中、クリスマスばりのイルミネーションはその為らしい。家々の玄関にはろうそくが灯り暗闇に浮かんでとても美しかった。この日の為に、像(ヴィシュヌ?)が作られ街のあちこちに飾られていた。その一つひとつが緻密なデザインで美しくインド人の美のセンスに関心した。安宿街サダルストリートでもあちこちで花火が打ち上げられたり、道で子供たちが遊んだりしていてまさに「光の祭り」というかんじであった。
最終日にはその像を川に流す行事があり、たまたま、道をぶらぶらしていたら踊っている人たちがいて、それを見ていたら踊りに誘ってくれて一緒に踊った。インド人は全く想像していなかったが、とてもリズム感があってセクシーに踊る。キューバ人も目じゃないくらいだ。でも女性たちは踊らないので、仕方無く?男の子だけで踊る。同性同士なのにセクシーに踊るのでこれがまた、みていて笑えるのだった。踊りが踊った後、トラックに乗って川に像を流しに行く様子になり、一緒に踊っていた男の子が当然のように私たちを招待してくれた。私は躊躇したが、マルがいるしそんな機会もないか、と思いなおしトラックに乗り込んだ。大きな像の内部には小さな子供たちが、外には少し大きなお兄さんや若者が乗り込んで、私たちも乗り込んでトラックは本当に満杯だったがその接近距離が楽しかった。昼間はあんなに暑い空気も夜になるとひんやりと気持ち良くて、トラックの進む速度で風が吹いて最高に気分が良かった。トラックの中で聞いたところ、彼らは家族・親戚で皆近くに住んでいるそうだ。まだまだ大家族の風習が残るインドでは大都会コルカタでも皆が一緒に暮らしている。
川に流す行事は一瞬で終わって、30分足らずで帰ってきたこともまた感じが良かった。(全部だらだらのチリとは大違い!)多分、各地域ごとに、川に流しに行く時間が指定されているのだろう。そうでなければ、500万以上の人口を抱えるコルカタで皆が一度に同じ場所を目指したら大混雑して仕方ない。
コルカタを離れる日になって、マルセロが「友達に牛乳を買ってくる」と言った。私は意味が分からなかったが、いつの間にか路上生活をしている女性と友達になっていて、彼女にお別れに牛乳をあげるらしい。彼はどんな人をも怖がらずニュートラルに接するのですぐに友達ができる。「5日コルカタにいて最近は友達も出来たのに違う場所にいかなくてはならないなんて淋しいね」と彼は言った。でもいざ離れるとき、泣いていたのは私の方で、彼とその路上生活者の女性が別れるところをみたら、涙がでてしまったのだった。彼女はそれをみて「なんで泣くの??」と言い、近くにいたお祭りの家族の娘さんも「なんで泣くの?」とやってきた。私だってなんでだか分からない。でも路上生活をしている彼女の明るさや、マルセロの純粋さや女の子の優しさに、そしてインド人に偏見を持っていた自分の情けなさに、サダルストリートにいる全ての人の一人一人全く違う人生に涙が出たのだった。

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バラナシにて
11月2日
インドのバラナシにいます。
自分のパソコンに日記を更新しているのに、なぜかつなげず、アップできない。。。

バラナシではたくさんのヒンズー教徒の皆さんがガンジス川で沐浴している。でもその聖なる川はものすごく汚くて、よくこの川に入れるなあと感心するくらいだ。インドではさまざまなことが、頭で考えると納得できないことが多くて混乱する。私の頭はつくづく理屈でできていて、目に見えない信仰や芸術的な事柄をうまく消化することができないなあと思う。
前途多難なインドの旅。
ここで無事に何かを府に落とすことが出来るのか、そしてよい感じで旅を終わらせることができるのか、ちょっと自信ない。
まあ、前向きに。
日本はもう寒いんだろうなあ。ここも夜は日増しに涼しくて、半そでじゃ寒いくらい。
バラナシ住民にしたら立派な冬らしい。
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コルカタを歩く
コルカタを歩く
到着から4日間、毎日コルカタの街を歩き回った。交通手段を使うような距離(4キロとか)を、ぶらぶら街の様子を見ながら歩くのは、「普通」楽しい。でもコルカタはたくさんの路上生活者や、美味しそうだけど貧しくて汚い露店、怪しい日本語で話しかけてくる商売人、けたたましいクラクションや真っ黒い排気ガスであふれていて、歩いていてとってもぐったりする街だった。日陰を歩いても汗は絶え間なく吹き出しうっかり水分が不足すると眩暈がするので、適度に休憩しなくてはならないがその休憩場所がない!道端の日陰に座ろうにもそこには生活があったり、おしっこ臭かったりゴミであふれていたり、ふうっと一息つける場所がないのだ。
カーリー寺院というヒンズー教のお寺にたどり着いた。寺のガイドだというあやしいおっさんが半ば強引に私たちを案内してくれ、お祈りをしてくれ、法外な値段を要求してきた。ノートには外国人の名前とお布施をした額が書いてあって、2500ルピー(5000円)とか、7000ルピーとか、冗談でもあげられないような値段が書いてあった。彼は最初「無料だ」と言っていたので心の準備のなかった私たちはびっくりし、一人100ルピー渡すとそれっぽっちか?とびっくりされ(こっちがびっくりだ!)せめて二人で500ルピーだと言われた。祈るという行為に対して純粋なマルセロは100ルピー追加し、計300ルピーになってノートに書かれたけど、きっとあとで0が一つ足されて、次にくる外国人に見せるに違いない。ちなみにそのお祈りは子宝祈願がメインで、私とマルセロには全く縁も興味もないものだった・・・私はちょうど誕生日だったので今年一年の幸運を心半分で祈った。
コルカタを流れるフーグリ川岸にも歩いていった。お祭りの期間で沐浴をしている人がたくさんで見ていると祈る人やせっけんで体を洗う人、洗濯する人、泳ぐ子供・・・すべての行為が茶色く、いや深緑に?濁った大河で行われていた。その川に入ることは、日本から来た私にとっては罰ゲームに近いものがあったけど、彼らにとって川は神聖なもので(神聖さと清潔さは別のものだ!)川に入ることは体も心も清めることなのだ。
マルセロはえらく見入っていてあとで「とても感動する風景だった」と言っていたけど、私は異文化過ぎて、その中に身を置いているのがしんどく、早々とボート乗り場の方に移動してしまった。夕方で、沈もうとする太陽が雲?と大気汚染?の中で弱弱しく赤く光り、いつまでも眺めていられた。
オフィス街?にも行ってみた。銀行などは偉く立派なヨーロッパ風の建物で、それだけみたらここはどこだ?というかんじだけどその下の道にはやっぱり商売人や路上生活者がはみ出さんばかりで、「ああ、やっぱりインドだ」と思うのだった。電気部品?自動車部品?が並ぶ路地があって、こんながらくた、一日にいくつ売れるのだろう?誰が買うのだろう?と、できれば一日中脇に座って観察したいようなお店がいくつもあった、いや、そんなお店ばかりだった。
道を歩いていると気がつくのが女性が少ないということ。特に夜は少なく、昼間の男女比が7:3だとしたら、夜は10:1以下だ。女性は大抵、髪の毛が長く美しいサリーを身にまとい歩いていて路上生活者であっても美しい。あとは、男性同士手をつないで歩いている姿をよくみかけた。マルセロは笑っていたが、別にゲイカップルではなくただの習慣なのだそうだ。
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コルカタ到着
10月15日 コルカタ(カルカッタ)到着
バンコクからのフライトたったの1時間半でコルカタの空港についたのは午後6時過ぎ。すでに薄暗くて小さい空港にはたくさんのタクシー運転手が私たちを待ちかまえていた。本によると350ルピーくらいが妥当な値段らしいけど、1200ルピーとか750ルピーとか、法外な値段を突き付けてくる彼ら。そこにチャイを配る人がいて、マルセロがうっかり貰ったらあとになって「5ドル」(200ルピー)って言ってくる・・・これが噂に名高いインドか!相談の結果、500ルピーで市外まで行ってもらうことにする。運転手について黄色いタクシーに乗り込もうとすると、もうもうとした煙で何かと思えばお香。
夕方の市内は大渋滞で、人が落っこちそうなほど満杯のバスや、家族4人乗りのオートバイや、レトロな黄色いタクシ―などであふれていたがそのすべてが一斉にクラクションを鳴らすので、疲労度は普通の混雑の2倍以上になる。その脇を2メートル以上も荷物積んだ一輪車が通り過ぎていくのを見ているとそれだけで気の毒でぐったりしてしまう。タクシーは渋帯を避けるために色々な道を通ったのでミニ市内観光みたいだった。道は基本的に暗いけど様々な装飾ライトが施され、何かと聞けばちょうどお祭りが始まるということで、ラッキー、と顔を見合わせた。
さて、有名な安宿街サダルストリートに到着すると、我先にと話しかけてくる人たち。ホテルは決まったか?マリファナいらないか?どこから来たのか?彼らについて3−4軒回ったが、薄暗い部屋やもうっとした熱気のこもった部屋ばっかりで、結局道にいたアメリカ人女性の泊まっている宿に連れて行ってもらった。
私たちの部屋は屋上にあって、コンテナのようだったが、屋上テラスの雰囲気が良くもう疲れたこともありそこに落ち着くことになった。エアコンはなく、天井にくっついたファンは暑い空気を回すだけだったけど、そこそこの快適さで結局コルカタにいた5日間そこに留まった。
日が変わると誕生日の私のために、ビールを探しにいこうって街をぶらぶらしたけど、宗教柄お酒に厳しい土地では見つからなかった。ホテルに案内してくれた彼女たちが砂漠から持ってきたというクッキーをくれたので日が変わってそれでお祝いしてもらった。マルセロがタイで見つけたらしいアンティークのお財布とメッセージをくれた。
ありがとう!
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